イルチおばさんのプロフィール
1926年4月17日 スロバキア国境近くのハンガリー、ノーグラード県に親子代々ハーバリストという家系に生まれる。 幼少のころから、病気やけがをハーブや森に生息する植物の力を借りて治癒することを知っていました。1932—56
第二次世界大戦を経て、ブダペストにて高等学校を修了した後、化学を学び、ハーブの力と彼女が 長年研究に携わってきたバイオフィジックス(生物物理学)を融合した新しい美容法を独自に研究 しました。 またその間唯一、渡航することが許されていた隣国オーストリア(美容の勉強ではフラ ンスが先進国であったが、当時は西側への渡航は許されていなった)へ渡り、エステティック学を 学びました。 そのあと、パリやミュンヘンへ渡り美容学と皮膚生理学、生物物理学などを学びます。 その後国の老化防止機関などの研究に携わるなど彼女のキャリアはとても多岐に及んでいます。 彼女は化学者でもあり、ビューティシャンでもあったので 美容と化学、それと代々ハーバリスト という家系で培った植物療法の知識を融合した特別な美容法の確立をしたいと願い美容家の道を スタート。 彼女が美容家として活動を始めたのは第二次世界大戦後から10 数年。 (1958 年~)当時のハンガ リーは、ソ連に追従する社会主義国として他の民主主義国との国交を絶っていたため、食料品など の物資は配給によって賄わられ、大変貧しい国でした。どうして植物由来の化粧品を作ることになったのか?
当時の彼女が手に入れられる物資といえば、森に生息する野草やハーブ、野菜や果物くらいしかな かったからです。そしてイルチのたったひとつの武器といえば、ハーブ博士と異名をとった自由に 手に入る植物についての知識とそして化学、エステティック学の知識だけでした。 彼女の作るクリームや化粧品を使った美容サロンは、大変繁盛し、そして化粧品は、瞬く間に売れ ました。食料も十分に手に入らない貧しい時代。。。 イルチの化粧品の値段はパン一斤と同じでした。 「今日明日食べるパンを我慢してでも、綺麗に なりたい」そんないじらしい女性の心境がうかがえる当時のエピソード。 イルチの化粧品は販売当時から話題になり、そして店頭にならぶと長蛇の列ができるほど人気でした。 いくら人気でも所詮手作りのため、一日に作られる数は限られています。 すぐ売り切れてしまうのですが、キレイになりたいと願い女性の執念はいつの時代も同じ。。。 多くの女性がイルチの手作り化粧品が売り出されるのを首を長くして待っていたそうです。 今でもイルチの長年培ったレシピとルールは絶対です。 その上で更に進化を遂げているILCSI 化粧品は、決して優雅や贅沢なものではありません。 また今どきの「オーガニック」というおしゃれな カテゴリーに属するものではなく、もっと生々しくパワフルな化粧品です。 そして彼女のそのパワフルな化粧品は、またたく間にヨーロッパ中に名前が知られるようになりま す。 各地から講演を依頼され、忙しく飛びまわる日々をおくるようになりました。海外講演実績
- 1979 年オーストリア、サルツブルグDie Biophisik der Haut und die Kosmetik (皮膚化学、化 粧品における生物物理学の応用)
- 1992 世界最高峰のエステティック協会シデスコ第23 回目のゲストスピーカー
- 1993 シデスコ第47 回ゲストスピーカー(リオデジャネイロ、ブラジル)
- 1958-1984 名誉勲章 連続受賞
- 20 August 1999 国民栄誉賞 2005 年5 月14 日ハンガリー代替医療(アンチエイジングテラピー)への功労賞
- 5 February 2006. MOSZI (National and Budapest Trade Guild of Beauticians). 功労賞